DSP 05 · Z 変換 — IIR 解析の中核ツール

Chapter 05

Z 変換 — IIR 解析の中核ツール

IIR フィルタの設計・解析はほぼすべて Z 変換の上で行われる。ここが本シリーズの数学的な山場。

1. 定義と動機

定義

信号\(x[n]\)の(両側)Z 変換:

\[ X(z) = \sum_{n=-\infty}^{\infty} x[n] z^{-n}, \qquad z \in \mathbb{C} \]

なぜ DTFT だけでは足りないのか

DTFT は\(\sum_n |x[n]| < \infty\)の信号にしか使えない。 ところが IIR の解析では発散するかもしれない信号(不安定なフィルタのインパルス応答など)も扱いたい。

そこで\(z = r e^{j\omega}\)と置いてみると:

\[ X(re^{j\omega}) = \sum_n x[n] r^{-n} e^{-j\omega n} = \sum_n \left(x[n] r^{-n}\right) e^{-j\omega n} \]

これは「\(x[n]\)に減衰の重み\(r^{-n}\)を掛けてから DTFT したもの」。 \(x[n]\)が発散する信号でも、\(r\)を十分大きく取れば\(x[n]r^{-n}\)は収束させられる。 つまり Z 変換は「重み付きで無理やり収束させられるようにした DTFT の拡張」である。

DTFT との関係

\(r = 1\)、すなわち\(z = e^{j\omega}\)(単位円上)と置くと:

\[ X(z)\Big|_{z = e^{j\omega}} = \sum_n x[n] e^{-j\omega n} = X(e^{j\omega}) \quad (\text{DTFT そのもの}) \]

Z 変換を複素平面全体で定義しておき、単位円の上をなぞると周波数特性が読める。

この絵は今後ずっと使う。\(z\)平面の単位円を反時計回りに一周することが「\(\omega\)を\(0\)から\(2\pi\)まで動かす」ことに対応する。

        Im(z)
         │    __
        _│_ /    単位円 |z|=1
      / │  \   ← この円周上の値が周波数特性
     │   │ ● │   ω=0 は z=1(右端)
─────┼───┼───┼───── Re(z)
     │   │   │   ω=π は z=-1(左端)
      \_│_/
         │

2. 収束領域(ROC)

Z 変換の級数が絶対収束する\(z\)の集合を ROC (Region of Convergence) と呼ぶ。 同じ式でも ROC が違えば別の信号を表すので、Z 変換は常に ROC とセットで考える。

例 1: 右側信号\(x[n] = a^n u[n]\)(導出)

\[ X(z) = \sum_{n=0}^{\infty} a^n z^{-n} = \sum_{n=0}^{\infty} (a z^{-1})^n \]

公比\(az^{-1}\)の等比級数なので、収束条件は\(|az^{-1}| < 1 \Leftrightarrow |z| > |a|\)。このとき:

\[ \boxed{X(z) = \frac{1}{1 - a z^{-1}} = \frac{z}{z-a}, \qquad \text{ROC}: |z| > |a|} \]

ROC は「半径\(|a|\)の円の外側」。

例 2: 左側信号\(x[n] = -a^n u[-n-1]\)(導出)

\(u[-n-1]\)は\(n \leq -1\)で 1。つまりこの信号は「過去にだけ存在」する:

\[ X(z) = -\sum_{n=-\infty}^{-1} a^n z^{-n} \]

\(m = -n\)(\(n = -1 \to m = 1\)、\(n \to -\infty \to m \to \infty\))と置換:

\[ X(z) = -\sum_{m=1}^{\infty} a^{-m} z^{m} = -\sum_{m=1}^{\infty} (a^{-1} z)^m \]

公比\(a^{-1}z\)の等比級数(初項は\(m=1\)から)。収束条件は\(|a^{-1}z| < 1 \Leftrightarrow |z| < |a|\)。 \(\sum_{m=1}^\infty r^m = \frac{r}{1-r}\)(\(\sum_{m=0}^\infty r^m = \frac{1}{1-r}\)から\(m=0\)の項 1 を引いた)を使うと:

\[ X(z) = -\frac{a^{-1}z}{1 - a^{-1}z} = -\frac{z}{a - z} = \frac{z}{z - a} = \frac{1}{1 - az^{-1}}, \qquad \text{ROC}: |z| < |a| \]

例 1 と完全に同じ式になった。違いは ROC だけ:

信号ROC
\(a^n u[n]\)(未来へ減衰)\(\frac{1}{1-az^{-1}}\)\(\lvert z\rvert > \lvert a\rvert\)(円の外側)
\(-a^n u[-n-1]\)(過去へ伸びる)\(\frac{1}{1-az^{-1}}\)\(\lvert z\rvert < \lvert a\rvert\)(円の内側)

ROC の性質(重要なものだけ)

  1. 右側信号(因果的信号)の ROC は最も外側の極より外側(例 1 のパターン)。
  2. 左側信号の ROC は最も内側の極より内側(例 2 のパターン)。
  3. ROC が単位円\(|z|=1\)を含む ⟺ DTFT が存在 ⟺ システムなら BIBO 安定。 (理由:\(|z|=1\)上で絶対収束 ⟺\(\sum_n |x[n] \cdot 1^{-n}| = \sum_n |x[n]| < \infty\)。これは 03 章の安定条件そのもの。)

直感: ROC は「どのくらい強い減衰の重み\(r^{-n}\)を掛ければ和が収束するか」の記録。 因果的な信号は未来方向に伸びるので、外側(強い減衰重み)で収束する。

ROC の 2 パターン
図: 例 1(左)と例 2(右)。\(X(z)\)の式は完全に同一で、ROC(青)だけが違う。左は ROC が単位円を含むので DTFT が存在する = 安定な因果信号。

3. Z 変換の性質(すべて導出)

(a) 線形性

\[ \mathcal{Z}\{a x_1[n] + b x_2[n]\} = \sum_n (a x_1[n] + b x_2[n]) z^{-n} = a X_1(z) + b X_2(z) \]

(ROC は少なくとも両者の ROC の共通部分。)

(b) 時間シフト — IIR で最も重要な性質

\[ \mathcal{Z}\{x[n - n_0]\} = \sum_{n=-\infty}^{\infty} x[n - n_0] z^{-n} \]

\(m = n - n_0\)と置換(\(n = m + n_0\)):

\[ = \sum_{m=-\infty}^{\infty} x[m] z^{-(m + n_0)} = z^{-n_0} \sum_{m=-\infty}^{\infty} x[m] z^{-m} = z^{-n_0} X(z) \qquad \blacksquare \]
\[ \boxed{x[n-1] \longleftrightarrow z^{-1} X(z)} \]

直感: \(z^{-1}\)は「1 サンプル遅延」の記号。ブロック図で遅延素子を\(z^{-1}\)と書くのはこのため。 差分方程式(\(y[n-1]\)などを含む式)が Z 領域では多項式の掛け算になる。これが 06 章で伝達関数を作る鍵。

(c) 畳み込み定理

\[ \mathcal{Z}\{(x * h)[n]\} = \sum_n \left[\sum_k x[k] h[n-k]\right] z^{-n} \]

和の順序交換、\(z^{-n} = z^{-k} z^{-(n-k)}\)と分解、内側で\(m = n-k\)と置換:

\[ = \sum_k x[k] z^{-k} \sum_m h[m] z^{-m} = X(z) H(z) \qquad \blacksquare \]

(DTFT の畳み込み定理の導出と同じ流れ。ROC は両者の共通部分を含む。)

\[ \boxed{y = x * h \longleftrightarrow Y(z) = X(z) H(z)} \]

(d) 指数重み(z 領域スケーリング)

\[ \mathcal{Z}\{a^n x[n]\} = \sum_n a^n x[n] z^{-n} = \sum_n x[n] \left(\frac{z}{a}\right)^{-n} = X\left(\frac{z}{a}\right) \]

直感: 時間領域で\(a^n\)を掛けると、\(z\)平面の極や零点がすべて\(a\)倍の位置に移動する。 「減衰を強くする = 極を原点に引き寄せる」という操作に対応。

(e) z 領域微分

\(X(z) = \sum_n x[n] z^{-n}\)を\(z\)で微分する(収束域内では項別微分が許される):

\[ \frac{dX(z)}{dz} = \sum_n x[n] \cdot (-n) z^{-n-1} \]

両辺に\(-z\)を掛ける:

\[ -z \frac{dX(z)}{dz} = \sum_n n x[n] z^{-n} = \mathcal{Z}\{n x[n]\} \qquad \blacksquare \]

用途: 重根(多重極)を持つ場合の逆変換で使う。

応用例(導出):\(x[n] = n a^n u[n]\)の Z 変換。 \(X(z) = \frac{1}{1-az^{-1}}\)(\(a^n u[n]\)のもの)に (e) を適用:

\[ \frac{d}{dz}\left(\frac{1}{1-az^{-1}}\right) = \frac{d}{dz}\left(\frac{z}{z-a}\right) = \frac{(z-a) - z}{(z-a)^2} = \frac{-a}{(z-a)^2} \]

(商の微分法則を使用。)よって:

\[ \mathcal{Z}\{n a^n u[n]\} = -z \cdot \frac{-a}{(z-a)^2} = \frac{az}{(z-a)^2} = \frac{a z^{-1}}{(1 - a z^{-1})^2}, \qquad |z| > |a| \]

4. 逆 Z 変換 — 部分分数展開法

IIR の伝達関数は\(z^{-1}\)の有理関数(多項式 ÷ 多項式)になるので、 逆変換は部分分数展開でほぼ機械的にできる。手順を実例で示す。

例題

\[ X(z) = \frac{1}{(1 - \tfrac{1}{2}z^{-1})(1 - \tfrac{1}{4}z^{-1})}, \qquad \text{ROC}: |z| > \tfrac{1}{2} \]

ステップ 1: 部分分数の形を仮定

\[ X(z) = \frac{A}{1 - \tfrac{1}{2}z^{-1}} + \frac{B}{1 - \tfrac{1}{4}z^{-1}} \]

ステップ 2: 係数の決定(ヘヴィサイドの被覆法。導出込み)

両辺に\((1 - \tfrac{1}{2}z^{-1})\)を掛ける:

\[ \frac{1}{1 - \tfrac{1}{4}z^{-1}} = A + B\frac{1 - \tfrac{1}{2}z^{-1}}{1 - \tfrac{1}{4}z^{-1}} \]

ここで\(z^{-1} = 2\)(つまり極\(z = \tfrac{1}{2}\))を代入すると\(B\)の項は分子が\(1 - \tfrac{1}{2}\cdot 2 = 0\)となって消える:

\[ A = \frac{1}{1 - \tfrac{1}{4}\cdot 2} = \frac{1}{1 - \tfrac{1}{2}} = 2 \]

同様に両辺に\((1 - \tfrac{1}{4}z^{-1})\)を掛けて\(z^{-1} = 4\)を代入:

\[ B = \frac{1}{1 - \tfrac{1}{2}\cdot 4} = \frac{1}{1 - 2} = -1 \]

検算:\(\dfrac{2}{1-\frac12 z^{-1}} - \dfrac{1}{1-\frac14 z^{-1}} = \dfrac{2(1-\frac14 z^{-1}) - (1-\frac12 z^{-1})}{(1-\frac12 z^{-1})(1-\frac14 z^{-1})} = \dfrac{2 - \frac12 z^{-1} - 1 + \frac12 z^{-1}}{(\cdots)} = \dfrac{1}{(\cdots)}\)✓

ステップ 3: 各項を逆変換

ROC が\(|z| > \tfrac{1}{2}\)(両方の極の外側)なので、どちらの項も右側信号(例 1 のパターン)として読む:

\[ \frac{2}{1 - \tfrac{1}{2}z^{-1}} \longleftrightarrow 2\left(\tfrac{1}{2}\right)^n u[n], \qquad \frac{-1}{1 - \tfrac{1}{4}z^{-1}} \longleftrightarrow -\left(\tfrac{1}{4}\right)^n u[n] \]
\[ \therefore x[n] = \left[2\left(\tfrac{1}{2}\right)^n - \left(\tfrac{1}{4}\right)^n\right] u[n] \]

ここから得られる一般的な洞察(IIR の本質)

有理関数の Z 変換を持つ因果的信号は、部分分数展開により必ず

\[ x[n] = \sum_i A_i (p_i)^n u[n] \quad (+\ \text{重根がある場合は } n^k p_i^n \text{ 型の項}) \]

の形になる。\(p_i\)は極。つまり:

IIR フィルタのインパルス応答は「極\(p_i\)を底とする指数(減衰振動)の重ね合わせ」であり、 すべての\(|p_i| < 1\)のときに限り\(n \to \infty\)で減衰する。

複素数の極\(p = re^{j\theta}\)の場合、実係数システムでは必ず共役対\(p^* = re^{-j\theta}\)とセットで現れ、 対応する項は

\[ A p^n + A^* (p^*)^n = |A| r^n \left(e^{j(\theta n + \angle A)} + e^{-j(\theta n + \angle A)}\right) = 2|A| r^n \cos(\theta n + \angle A) \]

つまり減衰率\(r\)、角周波数\(\theta\)の減衰振動になる(鐘の「ゴーン」の余韻の数学的正体)。

共役極対が生む減衰振動
図: 上式の実例。極の半径\(r\)が包絡線の減衰率、極の角度\(\theta\)が振動の速さを決める。IIR のインパルス応答はこの形の項の重ね合わせでできている。